一つの愛では満足できない
愛人という存在は甘美で不思議な存在です。愛人を知らない人は恐らく疑問を持つ事でしょう。例えば何故パートナーが既に存在するのに、また他に愛する人を作るのかと言った点や、愛する人と家に居る人は別人と考える人の気持ちです。勿論どちらにも正解は無いですし、個人の自由であるので法律はどうか解りませんが、愛である限り完全に攻める事が出来なくなってしまいます。
愛人になったり、愛人を作ったりする事に深い意味や理屈はいらないのです。人間は本能として愛を持っており、誰かを愛するものです。それがそのタイミングで訪れたというだけに過ぎません。しかしこの「SNS」は生物の中でもほぼ少数のものにしか与えられていない感情なので、人間にとってもまだまだ不可解な事がある深いテーマなのかも知れません。
そんなロマンチックな事も踏まえて考えると、愛人を作る人は生物として生きる習慣での愛の他に、感情的な愛が存在しているのかもしれませんね。子孫繁栄以外の何かが関わっているのかもしれません。
それ故か結婚をまだしていない男女の中を「愛人」とは呼びませんね。この言葉自体が男女のどちらかに既に決まった配偶者が居る場合のみに使われる事も、そのような子孫繁栄以外の何かが働いていると考えられませんか?
しかし肯定している訳ではなく、決まったパートナーの居る人が他に愛人を持つというのは決して世間的に良いものでもありませんし、褒められた事ではありません。でもそのようになる過程にはパートナーの愛が不十分であったり、性欲不足や、何かしらの角質があるかもしれません。
人々は誰もが全く同じ考えを持って同じ体つきで生きているのではないので、誰との間にもみぞがあってしょうがないのです。そのような価値観の違いからも「熟女」とものは生まれてくるのでしょう。